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レースレポート

2023.7.12

パーフェクト・ウィン!開幕3連勝でさらなる高みへ昇る

レース名 2023 MFJカップJP250選手権 第3戦
開催日 2023年6月18日(日)
開催場所 筑波サーキット(茨城県)

全日本ロードレースと併催されているMFJカップJP250国内クラスで開幕から2連勝と波に乗る荻原羚太選手。第3戦の筑波サーキットでは、なみなみならぬ闘志を抱いてのぞんだ。その理由と残した結果とはなんだったのだろうか。

胸に秘めた「負けられない」想い

「絶対に負けられない」という戦いはどのスポーツにもある。モータースポーツで言えば、それは“ホームコース”である場合が多い。全日本ロードレースとの併催となっているMFJカップJP250の場合、転戦であり、同じコースで二度開催されることはない。だからこそ地元の選手はその一戦に賭ける思いが強く、中にはスポットとしてホーム開催のレースのみ参戦することもあるほど。その中で「間違いなく一番走っているコース」である筑波サーキット・コース2000は荻原羚太選手にとってのホームコースだ。

前戦のスポーツランドSUGOでは不慣れなコースながら国際クラスを含めたトップチェッカーを受けた荻原選手。ホームの筑波サーキットならば予選・決勝だけでなく、特別スポーツ走行でも「トップタイムを出す」というパーフェクトな勝利を目指していても不思議ではない。レース後に質問をしたところ「狙っていました」と告白した。なみなみならぬ闘志と目標設定の高さだ。

一方で不安要素があるとすれば、この闘志の強さと目標の高さが『気負い』につながりかねないという点。気負いすぎて、プレッシャーをかけすぎて、信じられないミスをしてしまうライダーは決して少なくない。それは全てのアスリートを含めれば途方もない数になるだろう。しかしそれらを克服したならば、さらなる高いレベルに到達できる。そんな予感も感じさせる一戦となった。

強さ際立つ特別スポーツ走行と予選

レースウイークが始まると「一番走っているコース」という言葉がそのまま強さとなって表れた。リザルトが出る特別スポーツ走行の1回目は、国際クラスを含めてもトップタイム。2番手のライバル・千田選手とは0.3秒差。同じ国内クラスの飯高選手とは0.9秒の差をつけた。2回目の走行ではベストタイムの更新こそならなかったものの、やはり総合でトップタイム。しっかりと強さを見せつけ、気負いも感じさせない内容だった。

当日となる日曜日は、午前に予選を行なってグリッド順位が決まり、午後に決勝が行われる。ここでのポイントは予選と決勝で同じタイヤを使用するということだった。

特別走行を通じて、痛感したことがある。梅雨の最中とは思えないほどの暑さは、タイヤにもマシンにも確実なダメージを与えるということ。エンジンが熱ダレを起こしてパワーが出なくなりやすいのだ。日曜日へ向けて、チームはラジエターの目を整えたり、液の交換、エンジンオイルの交換など熱対策を入念に行なった。できる準備には限りがあるが、思いつく限りのことはする。それこそがレースであり、マシンが進化する秘訣なのだ。

運命の予選は、大胆な作戦に出る。「アタックするのは合計5周」に限るというもの。タイヤの消耗を抑え、仮にトップにならなくても、決勝で結果を残せるように考えられている。もちろん、ライダーにとってはプレッシャーが大きくなる可能性もある。チームがライダーを、ライダーがチームを信頼していなければ、怖くて打ち出せない作戦だったと言えるだろう。

結果から言えば、荻原選手は信頼に応えてみせた。1分4秒351というタイムは、堂々の総合1位。国際クラス1位の千田選手とはわずか0.135秒という僅差だったが、見事に抑えてみせた。ここ一番の集中力はさらに成長している証だ。ただし、千田選手が素晴らしいライダーであることは間違いない。この予選で周回数を合計で一桁に抑えたライダーは3名。その内の二人が荻原選手と千田選手だった。タイム差はわずかで、作戦もほぼ一緒となった。午後の決勝では気温に負けないほどの熱い戦いが待っている。そんな予感がした予選だった。

常にクレバーな戦いとなった決勝

決勝レースが近づく中で、少しの不安が芽生え始める。高い気温と路面温度が、レースに大きな影響を与えていたのだ。J-GP3クラスでは上位を走っているライダーの転倒や赤旗による中断などが起きてしまった。不思議なもので、こういう流れは伝染することが多い。ないに越したことはないのだが、もし起きた場合も考えねばならない。赤旗で中止された場合、規定の周回数に達していたら中断前の順位で決定する。JP250の場合は12周が規定だ。そこをしっかりと把握した上で、クレバーなレース運びが必要とされる。しっかりと頭に叩き込み、決勝の刻を待った。

いよいよ決勝がやってきた。ピットロードでコースに入るのを待つ荻原選手の顔は、若干だが強張っているように見えた。レース前なのだから緊張するのは当然なのだが、いつも以上に硬い印象だった。そこへ友人のライダー達が激励しに来てくれた。かけてくれる言葉に耳を傾ける荻原選手。ほんの少しだが表情に変化が見える。そして、笑った。長い時間ではない。ほんのわずかな時間だが、確かに笑った。そして、再び引き締まった表情からは硬さは感じなかった。友情とは、友達とは、これほどのチカラを持っているものなのだ。レース後には「あれは助かりました。緊張しすぎていたと思うので」と荻原選手が大いに感謝をしていた。

グリッドではべスラの田村会長、折田社長から激励を受け、集中力が高まっていく。そして運命のスタート。トップグリッドから好スタートを切った荻原選手はトップで1コーナーへと飛び込んでいく。ホールショットだ。後続をひきつれる形で走り、1周目をトップで走り終える。しかし、2番手の千田選手はピタリと着いて離れない。この展開が続いた。当初描いていた「スタートから前に出て逃げていく」計画は変更せざるを得ない。荻原選手の頭の中は大いに忙しかったことだろう。

しかし3周目でアクシデントが起きる。2位で激しいプレッシャーをかけていた千田選手が転倒を喫してしまったのだ。当初はこの転倒に気づかなかったという。ピットから出されるボードにある「2位との差が、0.03くらいから一気に広がったので」と2番手との差を把握をしただけだった。これが良かったのかもしれない。ライバルのリタイヤを知らずにいたおかげて「差が広がったなら、自分の走りをしっかりしよう」と後ろを見ずにペースアップに専念ができたのだ。

後続に大きな差をつけていきながら、転倒だったことを把握してからクレバーは走りへと変わっていく。「赤旗の可能性が高くなったので、順位をキープする走りに変えました」と、周囲の状況をしっかりと把握しはじめた。そして13周目には複数台が絡んでの転倒が起きて赤旗が提示される。レースは中断となり、ピットレーンへと戻っていく。周回数としてはちょうどレースが成立となるところ。「ギリギリだったので、成立なのかどうかがわからなかった」という荻原選手。再び走るとなれば、せっかく築いたギャップがなくなることになる。もちろん心構えはしているが、やはり「成立してほしい」と願う。

レースは成立した。開幕からクラス3連勝を飾った。国際クラスを含めた順位でも2戦連続トップフィニッシュ。しかも特別スポーツ走行、予選、そして決勝でもトップタイムを記録した上での優勝である。そのことについて質問をすると「はい! 狙ってました」と言って極上の笑顔が浮かび上がる。自らかけた大きなプレッシャーに勝ち、目標を達成できた事実は非常に大きなものだ。

実は、この後の荻原選手は多忙を極める。中でも大きいのはアジアタレントカップへの参戦だ。アジア地域の若手ライダー同士がしのぎを削る舞台へと羽ばたいていく。「だからこそ、このレースを勝って、勢いをつけたいと思っていました」というのも、絶対に負けられないレースになった理由だったのである。
「この結果を持ってタレントカップに参戦するので、こけないようにがんばります」と意気込みを語った。もちろん「こけない」とは、転倒しないという意味以上の言葉だ。共に走っているライダーが胸を張れる結果を残したい、という気持ちが入っている。チームをはじめとして自分を支えてくれる方々、協力してくれる方々、そして仲間やライバルの気持ちを背負って走る。そのプレッシャーに負けないだけの実力を自ら証明してみせたのが、今回のレースだった。もちろんJP250にも可能な限り参戦する予定だ。“日本が誇るライダー”となる期待を抱いて、今後を見守りたい。