レースレポート
2024.4.4
復活のベスラレーシングチーム『DAYTONA200マイル』 3位入賞!!
フロリダ、デイトナビーチからほど近いデイトナインターナショナルスピードウェイで開催されたモトアメリカ(全米スーパーバイク選手権)。その初戦となる伝統の【デイトナ200マイル】にて、アメリカでのレース活動に10年ぶりに復活した日本のブレーキパッドメーカー『Vesrah(ベスラ)』レーシングチームが3位入賞という快挙を果たした。そのレース密着レポです。
東京都新宿に本社を構えるタカラ株式会社が世界中で展開しているのがブレーキパッドのブランド『Vesrah(ベスラ)』である。
バイクの外観には映らない消耗品ではあるが、日本製で品質にこだわり、国内はもとより海外での評価も高い部品メーカーです。
タカラ株式会社は1950年創業、バイク用ブレーキパッドでは国内最古参といえる老舗です。
アメリカでの市場開拓を進めていく中で、公道用消耗品としてだけではなく、レース市場へ進出するため、2000年からスズキの協力を得てアメリカでレース活動を開始。
24時間耐久レースでブレーキパッド無交換優勝!勝てるブレーキパッドメーカーとしてアメリカレース市場で名前が広がっていきました。
その後2013年までAMAレースを続けてきましたが一旦アメリカレースからは撤退。
その後は日本国内でモテ耐やミニバイクなどに社員ライダーなども出場しながら市場拡大をしてきた。
2024年1月、アメリカでの商品展示会にて、過去ベスラライダーとして一緒に戦ってきたアメリカ市場でベスラの仕事をしているマークと会った際に「デイトナ200マイルに出ようと思っている。ライダーはヘイデンギリム。ニッキーヘイデンの甥っ子で2023年にはAMAのST1000、キングオブバガーのWチャンピオンライダーだ。ベスラでやってみないか」という話になった。
この話は会長の心に火を点けた。
レースまでわずか2ヶ月。アメリカでレース活動を続けてきたマークと、そのチームがあったからこそ実現できた『ベスラレーシングチーム』の復活だった。
マシンの手配、レースマシンへのセットアップ、レースまでの運営。
マークとベスラの長きにわたる信頼関係が無ければ不可能だった。
我々は会長と社長、私の3名でレースウィークの木曜日からサーキット入りした。
マシンはSUZUKIのGSX-R750。
ライダーはヘイデン・ギリム。
ゼッケンは95。
タイヤはダンロップ。
ブレーキパッドはベスラVD9031XXである。
【XXシリーズは国内外ともに、多くのサーキットライダーから絶大な人気となっているレーシングブレーキパッドである】
ヘイデンはキングオブバガークラスにもWエントリー。とてもタフなライダーだ。
我々は現地で初めてマシンを見た。
ベスラのワールドイメージカラーである黄色と黒に、日本でのイメージカラーとして定着してきたピンクを差したカラーリングとなり、レーシングスーツも肩から腕のピングがとても目立つ、カッコいいカラーリング。
全米からライダーも観客も集まるデイトナにとても映えていた。
観客の多くはモーターホームやキャンピングカーでサーキットに入っていて、とてもリラックスして楽しんでいる様子が印象的だ。
また、オフィシャルやボランティアと思えるお手伝いの方まで、みんなで楽しもうとフレンドリーな雰囲気に一発でハマってしまった。
実際に走行を見ると、とにかくコースもデカいし敷地もデカい。
デイトナと言えば超高速バンク。ものすごい角度で、おかしな角度でマシンが走行していく。
それを観てキャンプしてる観客との空気感の違い。ゆったりした空気感と圧倒的な迫力のギャップが面白い。
特別スポーツ走行から安定して上位を走行するベスラGSX-R750。
デイトナインターナショナルスピードウェイは壁のようなバンク(角度がついたコーナー)が特徴。オーバル状のコースの内側にインフィールドコーナーがあり、超ハイスピードから一気に減速しインフィールドに入り、出ていくとすぐに壁のようなバンクを駆け上って加速していく。その加減速の激しさから、トップライダーであってもブレーキミスから走行ラインを外す場面も多く見ることがあった。
安定して減速できることが如何に重要なことか、ハッキリ見ることが出来た。
アスファルトも日本で見るよりグリップの安定感が無さそうで、長時間の走行でも安定してコントロールできるブレーキシステムは不可欠だと強く思ったコースだった。
このような中で開発、テストされて評価されてきたベスラブレーキパッドの歴史も垣間見えた。
デイトナ2日目の金曜日は予選が行われた。ヘイデンは予選の後半、フレッシュタイヤに交換しアタックして順位アップ。4位という好位置を獲得した。
ヘイデンはキングオブバガーの予選と1回目の決勝レースも戦った。
チームはその間もGSX-R750のメンテナンスを行い、金曜日のスケジュール終了後は明日の200マイルへ向けてピットストップの練習を繰り返していた。
これまでの短い準備期間で、どれほどの練習とバイクの改善を行ってきたのだろう。
マシンは200マイルレースに向けた耐久仕様となっていて、細かな部品が手作りで加工されていて、今まで何度も繰り返し練習してきたであろうタイヤ交換とガソリン補給作業を、夜遅くまで確認していた。
そして迎えた土曜日。今日がデイトナ200マイル決勝。すべてのレースが今日で終わる。
緊張の中、4位のグリッドから好スタート。
上位を安定して走行するが、デイトナコースは2つの大きなバンクに挟まれた超高速ストレート(と言ってもフラットではなく、微妙な角度がついている)があり、走行ラインも1本ではなく、とにかく目まぐるしく順位が入れ替わる。
1周約5.7kmを1分50秒程度で57周。途中に1回ピットインをして給油とタイヤ交換を行う、最高速度は290km/hというスーパータフなレース。
レースが経過していくと周回遅れライダーも多数出てきて、誰が何位を走っているのか?モニターなどで確認しないと、見た目にはわからなくなる。
超高速コーナーのバンク一番上部には、飛び出さないように壁があるのだが、数台のマシンが290km/hで触れ合うくらいの間隔で走り抜けていくのを間近で見ると、素人クラスながら日本でレースをしている自分としては恐怖を感じずにはいられなかった。
特に超高速の最終バンクを駆け下り、全開加速してきて毎周のように5台以上で並んで1コーナーへ突っ込んでいくシーンでは強力かつ繊細なブレーキコントロールが必要。
インフィールドコーナーにはバンクがほとんどついていなくて、ブレーキからコーナーリングは非常に難しく見えた。日本のサーキットのコーナーはもっとバンク(角度)が付いているので、デイトナは難しそうだなと思った。
上位チームがピットインのタイミングを計っている。ベスラレーシングチームもピットイン。
練習の成果で、非常にスムーズにガソリン補給とタイヤ交換を完了。ヘイデンは水分を補給してコースに飛び出していった。
最高のチームワークはベスラ耐久チームのDNAなのかもしれない。
確実な作業で安全に1秒でも早くライダーをコースに戻す。ピットインでのロスタイムを走行で取り戻すことは容易ではないし、ライダーは大変なリスクを伴う。素晴らしいピットワークだった。
200マイルも後半へ。順位は4位と5位を入れ替えながら走行している。1位と2位は近いところでバトルをしている。少し離れて3位がいる。そこからまた少し離れて4位5位をベスラのヘイデンが争っている。
ここまで強い日差しの中、時折雲が出ていた天候が陰りはじめ、残り15周くらいとなった時に少し雨がパラついた。少しなのだがデイトナコースの路面は雨だと特に滑るようで、すぐにレッドクロスという白地に赤いX柄のフラッグがライダーに振られる。
『雨だぞ。気をつけろ』という旗である。
ここで他のライダーに転倒などがあれば、順位は変動する。
リスクはベスラのヘイデンにも公平だが、順位を上げるには攻め続ける他に選択肢はない。
残り5周ほどとなったころ、会長、社長、私の3人は大型モニターの前で大勢の観客と共にレースの行方を祈るような気持ちで見入っていた。
ヘイデンは4位を走行している。5位のライダーとの差は少しづつ詰められている。
この情報はサインボードで伝わっていると思うが、ライダーの疲労(ヘイデンはキングオブバガーとWエントリー)、タイヤの摩耗、エンジンもブレーキも消耗している。
まず4位を死守して欲しい!
3位との差は大きいが上位に何か起きないとも限らない。
最後の最後まで諦めない。ライダーもチームも諦めていない以上、応援している我々も諦めない。
そして最終ラップに入った時にモニターに信じられない映像が。。
順調に2位を走行していたマシンがコーナー立ち上がりの加速するところでバイクを左右に振っている。
『ガス欠だ!』
思わず大きな声で叫んだ。もちろん私は日本語です(笑)
社長や会長にも『あれガス欠してます!失速してます!もしかしたら、もしかします!』
と興奮して叫んでました(笑)
2位のマシンはスクリーンが割れていました。レース中に何かあったのでしょう。
バイクを止めないよう懸命に必死にバイクを小刻みに左右に振りながら前進していきます。
それでもノロノロとしか走れないほどのガス欠。
2位と3位が入れ替わりました。
ヘイデンは届くのか!?
そしてチェッカーの目前で4位にいたベスラのヘイデンがギリギリで交わして3位に!
チェッカーを受けてモニターの順位表示が切り替わるまで、わからないくらいの奇跡の表彰台獲得でした!
大型モニターの前で、その瞬間を迎えた会長と社長と私は大興奮で喜んでいると、それを見ていた近くにいた知らない人から『あんたたちのチームが何位だったの?』的な感じで聞かれ、『3位だ!』と答えたら『すげーな!おめでとう!』と握手してくれた。
そのあと、アメリカで一番大きなパーツ問屋で、デイトナ200マイルレースのスポンサーでもある【Parts Unlimited】の元社長であるマイクご夫妻がベスラの会長を見つけて握手を求めてきました。
ベスラがアメリカのレースから撤退して約10年。またベスラブランド復活の瞬間を見たような気がしました。
その後我々はピットに戻ってチームの皆と喜びを分かち合いましたが、ライダーのヘイデンは表彰台に立った直後に早着替えして最後のレース、キングオブバガーに出走していました。
タフすぎる(笑)
最後のレースは表彰台を逃したヘイデンでしたが、笑顔でピットに戻り、皆で強く握手をして200マイル3位入賞を喜びました。
ブレーキについては『何の問題もない!パーフェクトだ!』と言っていました。
その日の夜はチームの皆と祝勝会。レースウィークは誰もお酒を飲まなかったと言います。
毎日、バイクの整備、調整とピット作業の練習、ライダーのケアなど集中してきたレースが終わり、ヘイデンのまだ小さな子供たちも加わり、幸せな時間を過ごしました。
レースやるぞ!と決めてから約2ヶ月でアメリカ最高峰のレースで3位に立てた奇跡。
ベスラファミリーの底力を間近で見た思いでした。
翌日曜日。朝食はホテルの部屋でスーパーで買い込んだ食料をたらふく食べて、
デイトナビーチで開催されていた『デイトナバイクウィーク』の雰囲気を感じようとメインストリートへ。メインイベントは土曜日までなので、だいぶ少なくなっていたと思うが、ハーレーを中心に多くのライダーが楽しんでいた。
アメリカは州によって違うのだろうが、フロリダはヘルメットを被らずに乗っても大丈夫なようで、特に高齢のライダーはノーヘルが多かった。
後ろにパートナーを乗せて、ゆったり気持ちよさそうに走っている姿をたくさん見た。
ノーマル状態のバイクは少なくて、日本製のスーパースポーツやメガツアラーなども何かしらカスタムされていたり、みな自己主張のあるバイクを楽しんでいた。
その後夕方にマークから『サーキットでタイヤテストしているから来ないか?』と連絡があり、デイトナスピードウェイまで行ってみると、昨日あれほどハードにレースをしていたヘイデンはダンロップタイヤのテストで走行していた。
これもマークやヘイデンにとっては大事な仕事だそうだ。
今季、デイトナ以外ではST1000でCBR1000RR-Rを駆るヘイデン。
マシンテストも兼ねていて、『ものすごく速い!とてもエキサイティングだ!』と言っていた。もちろんブレーキはベスラのXXシリーズを使用する。
ベスラがアメリカのレースに復活しデイトナ200マイルに挑戦することはアメリカのレース界から歓迎され、いきなり3位に入賞したことは大きなニュースとなった。
ブレーキパッドは取り付けてしまえば目に見えにくく、カスタム的な要素もなく、それぞれの特性の違いなども広く公開されていないので、レースをしている人たちでさえ、こだわりを持ちにくい部品ですが、不安定なバイクという乗り物こそ、安定して安心してスピードをコントロールできるブレーキパッドは全てのライダーにとって重要な部品の一つです。
公道での通勤通学。
ツーリングを楽しみたい方。
スポーティな走りをしたい方。
コース走行などを楽しみたい方。
競技で自分の限界と戦いたい方。
ロード、オフロード、自転車も、全てのライダーに日本製の高品質を提供しつづけてきたベスラ。
今年もデイトナ200マイルに始まり、国内でもモテ耐、鈴鹿8耐、菅生耐久、モトクロス、地方選、全日本選手権、アジア選手権と幅広くモータースポーツに貢献して、公道ライダーの皆さんの安全安心に貢献します。
家で寛ぐ時はベトナムから直輸入のベスラコーヒーも愉しんでください。
ベスラ営業サポーター
モトサポート菅野組 菅野組長